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広野の上に描かれた国都新京の心臓部

2010/07/08 14:49

 

 

新しいキャンバスの上に、一直線のメインロードに縦横に側道、そして大きいロータリー、かつて満州という国の首都であった新京が誕生して間もない写真。まさに新しい京だ。

 

遠くには、すでに出来上がった官庁がひとつ、ふたつ。何一つさえぎるものの無い大荒野の真っ只中に、植民地化した日本が満州国を建設したのだ。

奪うだけではない。植民地としては世界に例のない投資をしたということだが、それは通用しまい。

 

日本にとっては生命線であったかもしれないが、やはり、主権をもった独立した国を塗り替えようとしたことは間違いない。

最近、残り少ない人生を振り返るとき、子供ながら彼の地に足を踏み入れた体験を生涯の財産としている。

 

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粉ひきのロバ

2010/04/28 10:06

 

このような光景は田舎を通るとよく目にした。

ロバは自分の世界は数メートルの範囲で一生を終えるのだ。子供心にも説明を聞き、ロバの身上に同情を寄せた。

 

もっと強烈なのは、ロバの目をつぶし、盲目にして従順にひかせることもあると聞かされたことだった。このことはさすがに残酷と震えた。

 

もっとも、考えれば体裁のよいロバではなかったかと、自分に置き換えて考える。小さな世界をくるくる回って一生を終える。釈迦の手の平の内を巡る世界感しかないのだ。

 

やっと、目を開けて自分の世界を見た感があった政権交代による世界もどこかおかしい。

もう盲目にされて同じところをぐるぐる回るのはゴメンだ!

 

 

 

 

 

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太平洋戦争最後の戦闘地 虎頭要塞

2010/03/28 17:58

 

 

最近、Googleの衛星地図も辺境まで詳細な密度の写真を公開していてくれる。

 

旧満州、虎頭鎮もかなり地形が読める。

ロシア領の鉄道の鉄橋もはっきり判別できる。シベリア鉄道のイマン鉄橋、これを破壊すればソ連はウラジオストックへの鉄道を切断できる。ソ連の南下侵攻作戦も不可能となるのだ。

 

関東軍は、ここ、満州の果てに強大な地下要塞を構築し、巨大な大砲でここの鉄橋に狙いを定めた。

1945年8月9日、突如侵攻したソ連はウスリー川を渡河して要塞を攻撃した。

多勢に無勢、援軍もないまま、終戦も知らずに8月28日まで抗戦し、壕内の兵士、近辺の邦人は玉砕し戦闘停止した。

 

中国政府も認める太平洋戦争最後の戦闘地なのだ。

 

 

 

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満州娘

2010/02/25 17:22

 

 

わたし十六 満州娘 春の三月雪解けに・・♪

 

満州を代表する歌で知られる。

 

仁丹も日本人はみんな知っているが、当時は満州でも民家の壁に仁丹の広告があった。

日本人と共に、商社、商品も渡った。商魂、恐るべし!

 

 

 

 

 

 

 

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みず~、水~、水は要らんかね 水売り

2010/02/25 17:11

 

 

満州の冬は零下30度くらいまでに下がる。

すると水道管が凍り付いて水が出ない。日本人の家庭だけが困ることになる。

路地を現地人の水売りの声が聞こえる。「シュィ(水)シュイ!」と売って歩く。呼び止めるのが私の仕事。「ありがとう」と寄ってきてくれた。

 

天秤棒を肩に一斗缶を前後に満杯の水。屈強な人が多かった。冬でも井戸水は凍らないから、彼らの商売になった。

彼らを苦力(クーリー)と言った。

 

 

 

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苦力(クーリ)

2009/05/31 09:46

 

  

 

苦力クーリは満州に多くいた特別技術を持たない労働者であった。大人からはクーリー、クーリーと呼ばれていて、どんな字であるかも知らなかったが、貧しい階級であることは分かった。

 

中国人の赤ちゃんはオムツをしない。日本人は習慣で浴衣の古着などをオムツにしていた。おふくろが「またオムツが盗まれた!クーリーだな」と、よく怒っていた。彼らには高級なタオル地に見えて、タオル代わりにしていたかも知れない。

日本人が住む住宅街は高級住宅に思える。中国の精神で富んでいる者から借りる・・・とすれば、怒ることが不思議であろう。

 

過去には苦力は中国の輸出品の一部で、アメリカ大陸横断鉄道工事などにも稼ぎに出ている。現在も一部は中東に出ているというが、日本の研修生制度も体のよいクーリのような制度だ。

黙ってやらせておけば、残業を夜中の三時までやってしまうというのは、クーリーでなければとてもできまい。

 

 

 

 

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開拓団

2009/05/30 08:57

 

チャムス開拓団 

 

同級生に開拓団から通学していた子がいた。今ではおぼろげながら顔が浮かぶだけの子だが、どこの出身で、どこの開拓団かは知る由もないが、密山に一番近い開拓団は広島から入植した広島開拓団と開拓団入植地図で見て以来は、いつも彼は広島あたりの子と思い込んでいる。

開拓入植地図は、牡丹江から虎林までの、満鉄虎林線沿の全国から入植した開拓団で、字が重なり合うくらいの数である。

 

開拓団の朝は早い。市場に出荷の馬車に揺られて町に出てくる、そのときに便乗してくるから開拓団の子はみんな朝が早かった。自然、授業中に眠たくなるので船を漕いでいた。

私は彼の後ろの席だったから見ていてすぐ分かった。彼には後頭部に硬貨ほどのハゲがあった。習字の時間に居眠り中の彼のハゲを墨で塗った覚えがある。

一番犠牲者が多かったのは開拓団。その彼は無事に帰っただろうか。

 

狭い国土の日本の農家、農家の次男、三男の救済に政府は満州への移民を奨励した。山村などの村では分村して、居残り組に渡満組とに分けて募集したりした。

第一次から数次にわけて終戦間際まで満州に送られたが、開拓とは名ばかりで、現地民から強制的に買い上げたりしたから、戦後の反感を一挙に背負ってお気の毒であった。

総勢30万人近いといわれる。

 

 

 

 

 

 

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ろば驢馬

2009/05/29 07:55

 

     

ロバは満州で農家ばかりでなくよく見た。写真はロバに乗った親子という題である。

足が短く、やさしい目、鳴き声だけはなぜか悲しい声に感じたのは、小さな身体に労働力が余りに重いからだ。

 

 

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コーリャン

2009/05/27 05:54

 

高粱

中国の穀物、もろこしが通用する。白酒の原料でもある。写真のように丈の長い作物で人は埋まってしまう。馬賊が高粱畑に逃げ込めば、まんまと逃げ失せた。ゲリラ活動にはもってこいの背景で、軍は鉄道沿線から決められた間隔を高粱の栽培を禁じた。満鉄を反日ゲリラから守るためであった。

 

映画「紅高粱」という映画を見た。女優コン・リーのデビュー作として有名だが、「菊豆」「紅夢」など立て続けにヒットし、中国の代表する女優さんとして不動の位置は認めるところ。

紅いコーリャンにみるコーリャンの長い作物が、畑に風を通さず暑苦しさが増す。汗ばんだ彼女の肌から中国の匂いがスクリーンから漂うようで、ここからフアンとなった。

 

再度、中国を訪ねたときに驚いた。あれほど続くコーリャン畑が消えうせていた。どこまで走っても、コーリャン畑はこの目で見ることはなかった。

中国に着いたら一度は食べてみようと考えていた。日本人は米ばかりでコーリャンは食べなかった。米が日本人に出回るように、中国人には米を食べることを禁じたという。真偽は分からないが、なんという傲慢さか。

敗戦後は一年間、米の姿を見なかった。明けても暮れてもコーリャン食、それも最低の品のアクで鍋の色が変わるほどの最低の品が常食であり、引き揚げ船に乗れば麦飯が出るそうだと聞かされ、麦飯ってどんな飯?というくらいに米を見事に忘れた。

 

ガイドさんにコーリャンが食べたい!とリクエストしたら有りませんと、代わりに黄色い輝くようなアワのおかゆを出してくれた。中国がこんなに変わったんだと考えさせられるよい題材だった。

 

 

 

 

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東清鉄道

2009/05/25 09:20

 

 

東清鉄道

 

ロシアの永遠のテーマは南進、不凍港を持ち欧州列強同様に南に植民地を持つことであった。シベリア鉄道を極東に施設する予定が、予定ルートは自然条件に厳しい地形から、中国国内を通してウラジオストック、大連に通じるルートを中国の弱腰外交を見込んで着工して行った。

 

満州里からハルビン経由、綏芬河までを完成させた。

他国を通過して自己利益を得るというまことに図々しいロシアのやりそうなことだが、認めた中国の考えは壮大な先を読んでいたという。

「作らせておけばいい、いつかロシアは置いて出て行くだろう。その時は中国のものだ」と。

 

確かに日露戦争で負けたロシアは撤退、次いでの権益は日本が得て満鉄としたが、やがて日本も去らねばならない事態となった。

今は人民のもの、中国のもの、まもなくここを新幹線が走るときがくる。多分,地下で眠る中国外交官たちはこういっている「謝々、多謝」

 

二十万人という労務者が携わった。山東省、河北省からの出稼ぎ者が主で、難工事とともに、まだ当時跋扈していた馬賊の襲撃に慣れぬ気候、蔓延する疫病との闘いの結果で完成をした。

 

威容を誇る新京駅

 

 

 

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